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ベラルーシとロシア:両国民の統一による共通の未来へ

17.09.2021 г.

9月17日は、ベラルーシ共和国の新たな祝日である『国民統一の日』にあたります。この祝日は、1939年9月17日に赤軍が西ベラルーシを解放し、ベラルーシ国民の再統一を可能にしたというベラルーシとロシアにとって共通の歴史的出来事にちなんで、ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領が発した2021年6月7日付の大統領令により制定されたのです。

昨今、1939年9月17日という日とこの日に先立ったソ独合意をめぐり、激しい論争が繰り広げられています。ヨーロッパの国々をはじめ西側諸国は、あたかもこれらの出来事が第二次世界大戦開戦の引き金となり、ソ連が1939年9月にナチスドイツ側についてこの戦争に参戦したかのようにしようとしています。当然、これは虚偽です。人類史上もっとも恐ろしい悲劇が始まった直前、ヨーロッパにおける状況がどのようなものだったのか、ここで改めて念を押したいと思います。

1930年代、ソ連はナチスドイツを最大の脅威ととらえ、ヨーロッパにおける集団的安全保障体制を構築するためにパートナーを模索していました。が、英国、フランスやポーランドをはじめ西側諸国政府は、ソ連によるこの提案への参加を何としてでも回避しようとしたのです。さらにソ連政府は、ドイツとポーランドが共同して攻撃を仕掛けてくる可能性を排除することができませんでした。なぜなら、ポーランドでは『海洋間の大ポーランド』を創造するという『夢』が広く行き渡ったからです。

ヨーロッパの国々は、ナチスドイツへの譲歩によってヨーロッパでの戦争を回避することを願い、侵略者に対する所謂『宥和政策』を実際に行いました。特に英国とフランスは、『オーストリア併合』を許してしまったのです。さらに英仏両政府は、1939年9月29日から30日にかけての深夜に署名されたミュンヘン協定では、チェコスロバキア・ズデーテン地方のドイツへの割譲を認めるに至りました。

ポーランドはチェコスロバキア領土の占領に加担していわゆるチェシン地方を奪うと共に、チェコスロバキア政府へ支援しようとしたソ連の軍隊に対して、自国領土、領空への入域を拒否しました。

1938年末から1939年初頭にかけて、状況は変化しました。ナチス指導部による最後通牒に同意しなかったポーランド政府は、英国とフランスに支援を要請し、両国がポーランドの安全を保障してくれるという確約を得たのです。しかし、まもなく明らかになったのは、ポーランドのためにドイツと真剣に戦うつもりなどが英国にもフランスにも毛頭なかったことです。

一方、ヨーロッパ諸国がナチスドイツと合意しようとしているのを見たソ連は、英仏による『コラボレーショニスト(対敵協力)的サプライズ』が起こるのを真剣に危ぶむようになりました。なぜなら、もしこれが現実となった場合、ソ連はドイツの攻撃に一対一で向かうことになってしまい、1939年4月以降極東のハルハ河ではソ連軍と日本軍との衝突が続いていた中、二正面作戦の状況になる可能性がソ連にはあったのです。この極めて難しい状況の中、ソ連政府はソ独不可侵条約と関心の領域の分割に関する付属秘密議定書を締結するというドイツの提案を1939年8月23日に受入れました。

ナチスによるポーランドに対する侵攻後、ソ連が待っていました。もし英国とフランスがドイツに宣戦を布告し本格的に交戦を始めたとしたら、当然、ソ連が西ベラルーシや西ウクライナに軍隊を派遣することがありませんでした。しかし残念ながら、歴史には言語にある仮定形のようなものがありません。9月12日ポーランドの同盟国であった英仏は、ナチスドイツによる侵攻作戦に対して本格的軍事行動をとらないことを決定しました。ポーランド指導部は皆、ルーマニアとの国境をめがけ亡命しようとしました(そして実際、9月17日夜に成功裏に亡命しました)。その後はポーランド侵攻の結果は前もって決められて、独立国家としてのポーランドが事実上存在をやめてはじめて9月17日の朝に赤軍が国境を越えました。

当然、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が一度ならず述べられたように、前述の秘密議定書をはじめソ連指導部の行動は、倫理的観点からは非難すべきところがまったくないとは言えないかもしれません。(それでもミュンヘン合意や『ナチスドイツに対する宥和政策』より非難すべきものではありません)

しかも、現実政策の観点からソ連政府の決定の前提となったのは、今後想定されるソ連とドイツとの戦闘の場をできるだけソ連の国境から『遠ざける』必要性でした。不可侵条約にもその付属秘密議定書にもソ連とドイツの間の軍事協力に関する条項はなく、また一方が武力紛争に巻き込まれた場合における援助の提供または、第三国に対する軍事作戦の実現という義務も定められていませんでした。ソ連とドイツが締結した条約は、形式的にもまた実際上も、この二ヵ国を同盟国とするものではなかったにもかかわらず、一部の国々ではこれと真逆のことを証明しようとしているようです。

赤軍の9月進軍の結果、ウクライナとベラルーシの領土が解放されるとともに、その歴史的国境内での再統一が実現しました。今やこの結果に異議を唱える者はいません。

ポーランドが占領された地では民族解放運動が止むことがなかったというのも、もうひとつの歴史の真実です。ベラルーシ人の圧倒的多数は、この解放を正義を回復する行為として迎えました。これについてベラルーシ文学の巨匠ヤクブ・コーラスは次のように述べています。「力強い赤軍が国境を越え、数日のうちに西ベラルーシを解放し、待ちに待った救済と自由を与えてくれた。ベラルーシの人々の喜びは、尽きることがなかった。彼らが心喜びいっぱいで赤軍の兄弟たちを迎えた。約20年間にも及ぶポーランドによる苛酷な隷属状態にあった人々にとって、まさに忘れがたい日々であり幸福な国民再生の日であったのだ。」

1939年10月22日、解放された領土で西ベラルーシ国民会議選挙が実施され、選挙権者の96.7%にあたる267万2,280人が参加しました。西ベラルーシ国民会議は、全会一致で他の諸文書と共に西ベラルーシのベロルシアソビエト社会主義共和国への参入宣言を決定しました。

ベラルーシの再統一はベラルーシ人のポーランド化、同化の脅威を防ぎ、ベラルーシ国民の団結を促進しました。また社会経済的、文化的変革を実施することによって、多くの国民に利益をもたらしました。

ベラルーシが領土の一体性を有する国家となったことは今後の国民国家としての発展のために最も重要な一歩となりました。。

歴史を共有する今日のベラルーシとロシアは、重要な戦略的同盟国です。両国を結束させているのは、長年にわたる友情と相互援助の伝統であり、文化的かつ精神的近似性であり、未来に向けた広汎な計画です。その先にはもっとも明るい見通しが開けていると確信しています。

ベラルーシとロシアは、連合国家の枠組において有益に連携しています。この20年間以上にわたり、社会保障や教育、医療などの分野における両国の国民の権利平等を確保するために条件が作りあげられました。ベラルーシとロシアの統合にむけた取組みにおいて非常に重要なのは、経済、防衛、社会の各分野における国家間計画、プロジェクト、イベントの実施です。

ベラルーシとロシアとは、首脳レベルおよびハイレベルでの会談がきわめて積極的に行われています。2021年中だけでもすでに、両国大統領は5回、首相は6回の会談を行いました。

ベラルーシとロシアは多くの国際問題についても同様もしくは近い立場にあり、国連や欧州安全保障協力機構をはじめとする国際機関で協力を行っています。2020年8月のベラルーシ大統領選後、ベラルーシ共和国に対する海外からの大規模な圧力の中で、両国間の緊密な調整はさらに重要になりました。海外の勢力は大統領選挙の結果を利用して、また別の『カラー革命』のシナリオをベラルーシで実現しようとしました。その目的は明白です。現指導部を打倒し、西側の支配下にある政治勢力を政権につけてベラルーシをロシアから引き離そうとしているのです。現在ベラルーシ人の大部分は、安定と落ち着いた暮らしと仕事とを望んでいます。ベラルーシ指導部は、社会を結束し国の政治機構を近代化するために必要な措置をとっています。来たるべき憲法改正のあり方について議論が行われています。

今日ベラルーシが初めて迎える『国民統一の日』は、歴史的正義の回復を象徴しています。

単一の政治的、地理的、文化的、経済的主体として統合したベラルーシ人は、国民国家として生き発展するという、かつては奪われた能力を取り戻しました。第二次世界大戦を生き抜き、ナチスに対して偉大な勝利を収めた後、ベラルーシは国際連合原加盟国のひとつとなったのです。

ベラルーシはダイナミックに発展を続け、快適な暮らしと勤労のための条件を整え、防衛力を強化しています。ベラルーシの愛国者は世界の隅々で粘り強く勇敢に国益を主張するとともに、侵略者から祖国の地を守った人々の共通の記憶を大切に抱き続けています。

ベラルーシとロシアのさらなる統合への道のりでもっとも重要な意味を持つのが、2021年9月9日モスクワで行われた首脳会談と、同じく9月10日ミンスクで行われた連合国家閣僚評議会の会議で策定された画期的諸合意です。これらを成功裡に実施することによって、ベラルーシ人とロシア人の双方にとってよりよい未来に向け、両国の社会経済的発展に新たな弾みを与ええていくに違いありません。

駐日ベラルーシ共和国大使 

ルスラン・イエシン

駐日ロシア連邦大使 

ミハイル・ガルージン

2021年9月17日
東京

 

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